6月23日(6日目)
さて、帰国の日になりました。8時に目が覚めました。寝坊はできません。シャワーを浴びて朝食、スーツケースをまとめておきます。個人で海外に宿泊してチェックアウトは初めてです。スーツケースを持って会計っていう具合ではないのです。ベルカウンターに電話して、ベルボーイにスーツケースを取りに来てもらいます。ベルボーイと一緒にタクシーへ移動します。チェックインの時カードが切ってありますので、カウンターに行かなくて良いのだそうです。ベルボーイにチップを払って乗車します。日本にない習慣は大変ですね。こちらのタクシーは黒人の運転手が多いです。とにかく飛ばす飛ばす、そんなにスピード出さなくてもいいじゃないというくらい飛ばします。アクセルの踏み方が半端ない です。1時間かかるかなと思っていましたが、30分でJFK国際空港に到着しました。ここでもチップです。さて空港で搭乗手続きをすませて、セキュリテーチェック、搭乗をまちます。
12時半のフライトでしたが、少しおくれ45分にANA9便は飛び立ちました。時計を13時間すすめて、13時間30分のフライトです。洋食でワインをがっつり、熟睡です。起きてはビールで熟眠です。とにかく、飛行機の中は睡眠です。13時間の時差はかなりきついとネットで出ていました。成田でトランジット伊丹へ、車で無事福知山に帰り着きましたとさ おしまい |
6月22日(5日目)
今朝は何故か6時に目が開きました。うーん4時間睡眠。でも眠くないのです。○○とかハイですかね。7時に朝食、8時に会場に向かいました。本日は、臼歯部における多数歯欠損の内容です。治療方法の変遷から始まり、解剖学、レントゲン、3D診断の進化についてでした。臼歯部での骨のないところの骨再生療法について、興味深いスライドをみることができました。その後はショートインプラント、チルトインプラントの話しでした。方向としては、しっかりと画像診断を行い、短いインプラントを使用する傾向にあるということだと思いました。
ひる食事は本日もビュフェスタイルのランチです。午後は1時からトラブルになるような難症例の症例報告というような形で、ディスカッションを交えての講演 でした。講演内容ではスライドもあり、ある程度の英語は理解できるようになってきましたが、質問やディスカッションでは、2〜3人のやりとりがはやく、なかなか英語を聞き取ることが難しいです。こちらもレベルアップの必要性を痛感しました。最後にスペインのマロー先生のオールオンフォー(術式です)を3Dのバーチャルのオペを見ることができ、よかったです。実はマロー先生を見学しにスペインまで行こうか思っていたところなんですが、こんなところで、オペが見れて得した気分です。こんなに冷房しなくっていいくらいにガンガンに冷房が効いていて、今日はフリースを持ってきて防寒対策ですが、足首がめちゃ冷えています。非常に勉強になった今回のシンポジウムでしたが、海外の情報を知ってお くことも大切だと思いましたし、また、日本人は繊細で器用だと痛感しました。さて、アメリカと言えば、ステーキとブロードウエー、最後の夜を楽しんできます。緑のサブウエーで51st駅から33st駅に移動、「WOLFGANGS STEAK HOUSE」に行きました。アメリカの肉は熟成?させてあるとか、予想通り大きく、迫力満点で大胆なお味でした。1度は食べておけばいいでしょうって感じですかね。その後、ブロードウエーに行き8時から「スパイダーマン」を見ました。こちらはワイヤーアクションで観客席の上を縦横無尽に飛んでおりました。アクションと歌ととても感動でした。その後、1日目に行った「PIERRE LOTI」でアメリカ(LAと思われる)の赤ワインを飲んで、ホテルに帰還したのは午前様となっていました。 |
6月21日(4日目)
昨日は寝られませんでした。時差ボケか、食事か、英語で脳がおかしくなったか4時に目が開いてしまいました。むりやり6時までベッドでごろごろ、7時に朝食事をとって、8時前に会場にいきました。本日は前歯部の2本以上欠損の内容でした。審美や骨造成、生物学について有意義な話を聞くことができました。昼はランチブッフェが出て(ラッキー)適当に食事をとりました。午後は、長期経過や抗菌剤について、生物学的な流れがどうなったかの話しでした。。3時間後に少しのブレークをとって、本日最後のセッションです。
外科や補綴を駆使しての難症例の解決方法です。大きな骨欠損部に骨の移植をしたり、大学病院での大きな外科の内容でした。世界ってすごいですね。英語が子守のように睡魔を さそうのですが、会場がめちゃ冷房が効いていて、眠気がさめるどころか、風邪引きそうです。皮膚の薄い日本人にはこたえますな。さて、シンポジウムも終わり、マンハッタンをぶらついてきます。地下鉄で51stの駅から86st駅まで移動します。メトロポリタン美術館に向かいます。ここはドネーションなので、1ドルを支払い、絵画を見ました。
でかい、ロダンの考える人、ゴッホ、シャガールなどを見学、エジプト特集をしていましたの、そちらを見て、美術館をあとにしました。多分4分の1も見ていないでしょう。セントラルパークを横断、歩いてストロベリーフィールズに到着、有名なジョンレノンのイマジンをみてタゴタへ行きました。今もオノヨーコさんは住まれているのでしょうか。でもしっかりと警 護の人がいました。
その後はハドソン川のほうまでひたすら歩いていきます。途中、グルメスーパーマーケット「トレーダージョーズ」があり、少し買い物をしました。8時半くらいだったのですが、日没で、ハドソン川に沈んでいく夕日を公園から眺めていました。日没後、セントラルパークの南西のかど、コロンバスサークルの近くのスーパー(?)で買い物をして59st駅から赤の地下鉄に乗車、34st駅で下車して、コリアタウンに向かいました。韓国料理「ARIRANG RESTAURANT」で豆乳の冷麺を食べて、味は複雑でしたな、エンパイヤーステートビルディングへ、時間も12時になってしまいましたが、こちらは2時まで営業です。せっかくなので、102階の展望台まであがってきました。エンパイヤーステートビルディングは高さ373.2メータあり、展望台からマンハッタンの夜景は絶景でした。疲れ果てて、タクシーでホテルに戻り、2時にベッドインでした
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6月20日(3日目)
7時に目がさめ、昨日の日記を書きました。かなり忘れてしまい大変で30分もかかってしまいましたが、結論としては、マンハッタンを充実したということです。本日は午後からシンポジウムが始まりますので、午前はセントラルパークに行ってきます。セントラルパークまで歩いていけますが、結構な距離です。ブランチをとハラール(屋台)というのがあり、(詳しくはネットを調べて下さい)移民が作るファーストフードみたいなものです。鶏肉とラム肉に細長い米をがついていて、600円くらいで食べれます。これをセントラルパークの木陰のベンチで頂きました。湿気が少なく、ホント快適です。シンポジウムやめて、昼寝をしたいくらいです。1時に会場に戻ってさあここから本番です。なんか観光を しにきているように思われますが、こちらがメインなのです。
本日はブローネインプラントの歴史変遷からです。また1本欠損のインプラントに焦点を当てた話しでした。とむかし前なら、埋入にはこうで、上部構造はどうでなんて話しでしたが、やはり、アメリカ、審美をかなり重要視しているものでした。しかも、前歯部においてはインプラントの欠損の部分だけではなく、残存している天然歯も考慮にいれた講演が多かったです。6時までシンポジウムがあり、いやー英語が壁ですね。またまた痛感した次第です。
夜はネットで、牡蠣の美味しい店をみつけましたので行ってみました。グランドセントラルの駅にある「GRAND CENTRAL OYSTER BAR」というお店です。全世界の生牡蠣をチュルンと食してきまして、お腹もグーでした。その後、ブライアントーパークにいき、きれいな公園でした。冬はアイスリンクになるようですが、ベンチでいつまでも座っていたい気持ちになります。となりのオープンレストランも多くに人で賑わっていました。少し暖かいようで、ホントこっちの人は外で食するのが好きですね〜。図書館を通り、グランドセントラルに戻ってきました。42stを東に歩き、国連へ、ジータが住んでいた(よく知りませんが)トランプタワーをみてホテルに無事帰還です。本日も長く充実して1日でした。熟睡。 |
6月19日(2日目)
今日は1日、マンハッタンを歩き尽くします。7時に起床、51stから地下鉄にのります。1週間の乗り放題の切符を30ドルで購入、緑のラインをキャナルstまで移動、チャイナタウンにやってきました。雰囲気も高層ビル群から中国にかわりました。向かいにはリトルイタリーがあり、道を挟んで対峙しているような感じです。早めのお昼を「聚園」で、ワンタンと野菜ラーメンを食べました。すごいボリューミーで今日もお腹が心配です。
次は歩いてブルックリンブリッジに向かいました。マンハッタンは島なのですが、周りとは何本かの大きな橋で結ばれています。ほとんどが鉄橋なのですが、このブルックリンブリッジは石で作られているのです。多分かなり昔にかかった橋なのでしょう。修復工事もおこなわ れており、老朽化が感じられます。次は橋から下に下りてきて、下から橋を見上げます。まーアメリカンな大きな橋ですな〜。ここの桟橋みたいなところは昨年のハリケーンサンディで多大な被害がでたようです。さらに歩いてバッテリー公園へ。ここから自由の女神のいるリバティ公園にフェリーで渡れるのですが、サンディの影響で島が壊滅的な被害にあい、上陸不可能だそうです。
フェリーから自由の女神を見学して、ハドソン川とイースト川の方も航行して約1時間で帰港しました。気温は24度なのですが、照りつける太陽で日焼けをしてしまいました。ニューヨーク証券取引所やウオール街を歩いて、トリニティ教会、9.11メモリアルを見学しました。あの貿易センタービルに飛行機が突っ込んだテロの事件 の場所です。ビルの後にはプールができており、新たなビルも建設中でした。
チャンバースstの駅から赤の地下鉄で北上します。アポロシアターのあるハーレムに移動です。7時半から「アマチュアナイト」を見学します。日本でいう素人歌合戦、勝ち上がって歌手デビューという感じの所です。ハーレムはちょっとブラック系の地区で、南の地区とはちょっと雰囲気が変わります。その前に腹ごしらえです。伝統的アメリカ料理の店「Red Rooster」にいきました。チキンとサラダ、パスタを食べましたが、結構ボリューミーでお腹も大変なことになってきました。7時半にアポロシアターにいってチケットを購入、約2時間のショーをみました。アメリカの人は盛り上がりが良く、ノリノリでした。途中、スティービーワンダーの飛び入りもあり、会場は絶好盛り上がりです。
そして、曲が終わり、挨拶で、スティービーワンダーの「ずら」がとれて、また会場は大爆笑、司会の人はブーイングの中、スティービーワンダーだったら300ドルチケットかかりますなんて冗談をいっていました。10時前に終了、イーストハーレムに移動、こちらはスパニッシュハーレムと呼ばれ、プエルトリコ人など多く住んでいるそうです。ラテン系のバー「COLINA BAR」に入り、コロナビールを4杯も平らげ、お腹がグーになり、時計をみると12時です。やばいって感じで、地下鉄にのり、ホテルに戻ってきます。24時間のドラッグストアで、ミネラルを購入、午前様になってしまい。爆睡です。 |
2013ニューヨーク日記 6月18(火曜日)〜24(月曜日)
6月18日(1日目)
12時過ぎにタクシーでマンハ ッタンに移動、2時にホテルのフロントでチェックインしましたが、午後3時からということで、スーツケースを預けて、食事にでかけました。イタリアンレストランでモッツァレナのサンドを食べ、赤ワインもいただきましたが、チーズとバジルと量の多さに胃がグロッキーです。3時過ぎにホテル、今回はノーベルさんにお願いして、シンポジウム会場のウォルドルフアストリアのホテルにチェックインしました。名前が面倒なので、以下ホテルにしておきます。結構高級ホテルで滞在も楽しみです。ネットなんかでは、日本ほどのサービスを期待してはだめだ、とでていますがね。そしてニューヨーク近代美術館(モマ)へ、しばしモダンーとを鑑賞です。
その後、ロックフェラーセンター、ブロードウエー、タイムズスクエアー、5番街など見て、「PIERRE LOTI」というトルコ料理のお店で夕食をしてホテルに戻り爆睡です。このお店は地中海風な料理で、とても美味しく、トルコビール、白ワイン、赤ワイン、そして魚介るから肉料理まで日本人に合っている味だと思いました。
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今日は、午後休診を利用して2時から夜の7時まで講演会のテープ起こしを頑張りました。ということで・・・今夜は土師にある《四季の味処 太》さんで乾杯です。このお店は以前にもお邪魔させて頂こうとしたのですが予約が取れなくてあきらめたお店です。みんな楽しみにしていてテープ起こしの間も頭の中は《太》さんのことで頭がいっぱいだったかも(笑)。店内はお客さんが沢山おられ「今日は週末だっけ?」と思うほどでした。お魚が美味しいお店と聞いていたのですが、岩牡蠣のポン酢が絶品でした。ぷりぷりの肉厚な身で牡蠣のミルクの風味がお口に広がって幸せになれます。お刺身やカルッパチョ、天ぷらに白身のお魚でアスパラを巻いてフライにした物なども沢山美味しく頂きました。お魚 系だけでなくて牛ロースの山椒焼きも美味しかったですよ。きっと今回頂かなかった他のメニューも全部美味しいはず!!!私はお腹がいっぱいになりデザートが食べられなかったのですが、本日のおすすめデザートのプリンを食べた人によると「最高に美味しかった♪」そうです。あぁ、残念(T_T) お腹がもう一つ欲しかったな。また行きましょうね!先生♪ごちそうさまでした。(中井真智子 記)
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今回、4回目のイタリア海外研修になりました。自分の臨床の中での正しい答えはなんなのか?歯科医師として必要なことは何なのか?そして、1度しかない人生、楽しんで仕事をしていきたいものです。2005年に初めて海外に出て、海外の歯科事情を知ることができました。その中でも「英語」という大きな壁にぶつかり、今でも大変ですが、歯科を知るためには、必須なのです。もっと勉強しておいたら苦労しなかったのに。「英語」の教科書、論文を読むのには一苦労です。
今回はパドバでの研修と、モナコでの学会、有意義な海外研修になりましたし、もっとやらねばならないことが多く見つかりました。限られた時間の中で、自分なりにまとめて、活用していけたらと思っています。最後になりましたが、コースコーディネーター:竹内泰子先生、ボス:岡本浩先生、いつもご指導ありがとうございます。
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5月6日(月曜日) 11日目
朝は5時半に起床です。本日はフランクフルトでトランジットして日本に帰ります。6時に朝食事、身支度をして6時45分にスーツケースを出して7時15分にウイーンにバスで向かいます。ウイーン空港に8時に到着、チェックインして、最後の買い物を済ませて、10時50分フランクフルト行きに搭乗します。フランクフルトで13時40分関西国際空港に向け離陸しました。そして、早朝7時無事帰国しました。おしまい
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5月5日(日曜日) 10日目
日本を離れて10日目です。こちらにいると日にちや曜日の感覚がなくなってきてしまいます。6時に起床、本日はチェックアウトをしてブラチスラバに向かいますので、7時に朝食事、8時にバゲージダウン、9時に出発です。イタリアの食事は少し大変でしたが、フランスに入り、落ち着いてきました。海外で1番つらいのは食事、そしてベッド。工事中のアルベール1世公園を通過して市内観光です。
旧市街を通り、戦没者の慰霊碑、5段の石段には慰霊者の名前が刻まれているようです。市庁舎niceとは勝利者という意味で付けられたそうです。紀元前600年にフェニキア人が入ってきてこの地を開拓し、ギリシャの文明食材をフランスに入ってきたそうです。紀元前300年にわれわれは勝利者ではなかろうかという意 味でniceと名付けられたそうです。海抜170mの小高い丘にやってきて、ニース市街が一望できました。フランスは不景気で、不動産も値下がりしているようです。ニースの海岸線はフランスの避寒客の人が散歩をできるような道路をイギリス人がお金をだし、プロムナード通りを作ったそうです。旧市街は共同住宅がり、イタリアのジェノバスタイルだそうです。ガルバルディ公園へ。アクロポリス、図書センターへ、モダンな作りです、カラバーセル通りを通り、ニース駅へ、シニエ地区へ、高級な集合住宅があるそうです。そしてシャガール美術館へ。
10時からオープンなのですが、これは10時に職員が来るという意味です。おいおい・・。南フランスではきちっとしているような時間はないようです。さて、美術館に入ります。約1時間見学後、旧市街の散策後、昼食事です。「La Ferne Saleya」というレストランです。こちらはお肉料理でした。1時にニース空港に向かい、3時5分のウイーン発の一応国際線なのです。30分程度遅れて、5時半にウイーンに到着しました。バゲッジをもらって、バスへ、ブラチスラバに向かいます。昔はチェコスロバキアだったんですが、「チェコ」と「スロバキア」に分かれて、「スロバキア共和国」の首都なのです。ウイーンから50キロで、世界の中でもっとも近い首都なんだそうです。産業のないこの国は農業に力をいれており、ワインが美味しいそうです。EUに16番目に加入したのですが、経済的には厳しいようです。見渡す限りなんにもなくただっぴろいだけで、風力発電があり、ところことろ小さな村だでてきます。ドナウ川を渡り市街に入っていきます。7時過 ぎに、旧市街の北方にあるクラウンプラザホテルにチェックインです。8時から1時間程度旧市街地を散策しました。元共産主義の国に来たのは初めてですが、良く言えば紳士的であり、悪く言えば活気がない、というイメージでした。9時から「MINERVA」というスロバキア料理のレストランで食事をしました。お肉メインでシェアして食べましたがとても美味しかったです。またワインは地産のものがあり、格別にグーでした。11時過ぎにホテルにもどり、爆睡です
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5月4日(土曜日) 9日目
ニースプラザというホテルに泊まっていますが、ベッドのクッショウンが腰痛持ちの身としては合わなくて大変です。今考えると、パドバのメティスホテルなかなかなんじゃないですかね。5時半に起床して、1時間程散策にでかけました。ニースの海岸沿いに歩いていき、街の中を通り帰ってきました。
朝食事を済ませて、8時にホテルを出発です。本日は1日観光、明日は午前中は観光、午後ウイーンに飛び、ブラチスラバに宿泊です。バスは2人の運転手とともにマルセイユに向け出発です。こちらはバスの規制が厳しく、ドライバーが2人必要なんだそうです。マルセイユは岡本教授の息子さんが住んでおられた街だそうです。バスは約2時間高速を走っていきます。どんどん気温も上昇しグーです。サンビ クトアールという石灰岩の山、岩肌に光が当たり色んないろを放ち、セザンヌの画法がうまれたそうです。バスはプロバンス地方に入ってきました。フランスの田舎なのですが、今やその地名を知らない人はいないでしょう。水が乏しいので発展が遅れたようです。ロゼワインやオリーブなど美味しいものもあるようです。11時30分マルセイユに到着。エトランゼ、フランス語で外国人のこと、300万人いるそうです。おおきな港町、地中海でのクルーズの拠点となるそうです。港には大聖堂があり、すこしアラブっぽい作りになっています。港に入っていくと多くの人だかりです。何百の船の帆があがっていす。バスで市内を一周して、港の先には島があり、牢獄監獄があったそうです。戦争記念碑が見えてきました。
昼食事は「Le Rhul」というレストランです。フランス語で意味はわかりませんが・・・。ブイヤベースに白ワインを頂きました。ベリーグーでした。2時にバスに戻り、グラースに移動です。ムージャン、ピカソの家があったらしいです、を通過します。パリから多くの画家が陰鬱な天気のパリからこちらに来たそうです。グラースはフランスの消費量の3分の2を産生しているそうです。「Fragonard」という香水工房を見学しカンヌへ、クロアゼット通りで、記念撮影、カンヌ国際映画祭のレッドカーペットの場所を見てきました。この後、開催されるようで、その準備をしていました。
7時15分にバスはアンテーブに向け出発です。この時間なのですがまわりは明るく夕方というより、午後といった感じです。ゴルフジャンというと ころを通過していますが、ナポレオンが脱獄してたどりついたのが、ここだそうです。アンティーブはピカソが過ごした街のだそうです。8時に「RESTAURANT LA GRAVETTE」というレストランで地中海料理です。サラダとお魚料理とそして白ワインでしたが、わいわいと盛り上がり、楽しいひとときでした。バスで30分くらい走り11時にホテルに戻ってきました。いつものように爆睡です イタリア日記2012はこちらをクリック |
5月3日(金曜日) 8日目
6時のモーニングコールで起床、今日はモナコのオステオロジーの学会の参加です。昨晩ニースについたばかりなので、身支度も大変です。7時に朝食をとり、7時半にタクシーでモナコに向かいます。道路の渋滞もあり、1時間かかりました。初モナコです。パドバは学園都市、ミラノはファッションの中心、ニースはセレブの街、そしてモナコは超セレブの街って感じです。それぞれの雰囲気があり良いと思います。
受付をすませて、会場に入っていきます。途中3Dのメガネをうけとりました。ずーとエスカレーターを下っていきます。セッションによっては3Dの上映もあるようです。8時45分からオープニングが始まりました。9時半からリンデ教授の講演です。パドバでの講義を聴いていましたので、内容 もそれにそったもので、大変勉強になりました。1時間の講義の後、ブレークです。空気も乾燥しており、のどがからからです。アクアを展示会場で補給して、ラング先生の講演です。リスクファクターを考慮して、歯を維持するか否か。ピエールパオーラ先生の垂直型骨の欠損に対する対応の仕方について、こちらは3Dメガネを利用して、立体の映像もありわかり安かったです。トネッティー先生のどのように根分岐部を治療していくかについてでした。ここで昼食事。展示場での立食です。内容的には骨学会というより歯周病の内容が多い気がしました。リノ先生の軟組織のプラスチックサージェリーで血液の供給が少ないときの治療方法について。アントン先生の根面の歯肉退縮に対する根面被服について。ジ オバニー先生の軟組織に対する新しいテクニックを3Dを用いて説明されました。ブレークの後、最後のセッションです。ここはモデレーターがアラウージョ先生で、数多くショッキング的な論文を発表されており、間近にみられて感激ものです。読んだ論文の著者が壇上の上で夢の様です。マリアナサンズ先生の歯槽突起の幅の変化・・システマチックレビューの講演でした。生物学に基づいたすばらしい講演で、感動しました。
5時にセッションも終わり、会場からモナコ駅まで、無料バスを乗り継ぎ、電車でニース駅まで帰り、徒歩30分でホテルまで無事帰りつきました。途中珍道中もありましたが、割愛です。7時から45分までばりばりになった足を休憩して、次は夕食時です。本当に部屋でゆっくりってのはあり ません。本日は中華、タイ料理の「LA BANGKOK」というお店です。ビールに白ワイン、赤ワインで腹満タンです。パクチーがだめな院長でした。ホテルには11時半に戻ってきて、爆睡です。ZZZ・・・ イタリア日記2012はこちらをクリック |